「キッチンタイマー」青柳いづみ×飴屋法水×Sam Fuller(吾妻橋ダンスクロッシング)

日時:2013年3月30日
場所:アサヒ・アートスクエア

吾妻橋ダンスクロッシングは計8組のアーティストがパフォーマンスをするというイベントで、1組20分程度で次から次へとテンポ良く進んでいく。
ダンスクロッシングというタイトルのわりにはストレートにダンスらしいのは2組ぐらいで、バンド演奏、演劇、お笑い色の強いもの等々バラエティに富んでいて見ていて飽きなかった。

マームとジプシーがいたり、チェルフィッチュの3月の5日間でミッフィーちゃん役をやっていた松村翔子を含む変なHIPHOPユニットがいたり、いろいろ面白かったのだが、一番良かったのは飴屋法水×青柳いづみだった。
正確には飴屋法水×青柳いづみ×Sam Fullerで、このSam Fullerは10歳くらいの白人の少年である。
舞台上には書斎机とアップライトピアノが配置され、暖色系のライティングで西洋の心地良い室内といった雰囲気だった。
芝居は基本的に青柳いづみが舞台上を歩いたりしながら1人で語ることで進んでいく。
少年はずっと書斎机に座っていて、たまに、少しなまりのある日本語でしゃべる。
飴屋さんは始めは舞台の端で音響用の装置をいじっていた。

「目の、前には、およそ189個の、胃袋が‥」 というセリフから始まり、その数はどうもその日の客の人数らしかった。
そして「頭の上には、金色のうんこが‥」と、場所がアサヒ・アートスクエアということで、何度もうんこが連呼された。
「私は今日ここで、15分という時間をいただいて」とキッチンタイマーのスイッチをいれるというくだりから本編が始まる。
セリフは全てとつとつと語られ、音響と、タイミングを見計らって鳴らされる効果音とまじりあって心地良い音楽のようである。
少年が「眠れない時は、石ころの数を、数えます」
「石ころ1個、石ころ2個、石ころ3個・・・」と机の上に置いてある石ころを手で拾ってはまた戻す。
セリフの内容や少年のなまりのある日本語、そしてマイクが拾う石ころの音等がとても耳に心地よい。

頭上のうんこの話からさらに上の宇宙の話へ、石ころの話から、隕石の話へ変わっていった。
「石ころは時々、地球に向かって、落ちてくる」というセリフのあたりで飴屋さんがふらっと立ち上がり、柄の長さが1mくらいあるでかいハンマーを手にしたかと思うと、全力でピアノの側面を殴りだした。
ダァァァァン!とものすごい音がする。2,3回殴るとまた元の場所へ戻っていった。
飴屋さんの作品は、目の前の景色が一瞬で変わってしまうような、ハッとする瞬間があるので本当に面白い。

話としては詩みたいなものなので、表現するのが難しいのだが、いくつかキーワードが比喩的なつながりを持ちつつ、語られるという感じだった。
「私の喉には、しこりがあって、それが存在を主張するかのよう・・・」
「ガンと呼ばれるものの由来は、石であること」
「僕は、夏休みになるとカナダに近い、クマのいる湖で魚を釣ります」
「マスは釣り針を飲み込みます。針は喉にささってぬけません。マスを釣り上げると釣竿からぶらさがって左右に揺れています」
「近所の公園に行った。ブランコに人がぶらさがっていた」「背広を着たサラリーマンラリーマンのような人だった」
「その人は宙に浮いていた。そこだけ重力のない、宇宙のよう」「ぶらさがって、左右にゆれていた」
といった具合でいろんな断片が一見脈絡なく、しかし連想的にはたくさんの繋がりを持って語られた。

喉のしこりのくだりで、飴屋さんは後ろから青柳いづみの喉を手でつかむ。
そして青柳いづみは針を飲んだ魚のように引っ張られていく。
サラリーマンのくだりで飴屋さんは突然ピアノの上に駆け上がり、そこで片足でバランスをとる。
「私の胃袋はひっくり返って、でんぐり返って」というセリフのあたりで今度はピアノの上に後ろ向きに座り、背中から後ろ向きに落ちてしまった。
地面まで落ちるのではないかと思ってドキッとしたが体は鍵盤に支えられた。
「トントントーン、入ってますかー」という少年の優しい声に合わせて、飴屋さんは再びピアノの側面をハンマーで殴る。
完全に壊そうとする勢いで。

終盤、教会の鐘のような音がだんだんと大きくなっていく。
「あのしこりの感触が、ない」
「あの石は、消えたのだろうか」
「そう思ってふと手を見ると、私の手は手首から先が、なかった」

少年が石を拾いながら「サラリーマンが一人、サラリーマンが二人、サラリーマンが三人・・・」と数える。
「僕はマスを、クマにあげた。クマは、それをくわえて、去っていった」
そして机の上の紙で、紙飛行機をいくつか折って飛ばす。

飴屋さんは四つん這いになり、地面に落ちた紙飛行機を咥え、クマのように歩いている。
「その時、私は、私というものの小ささを・・」
「その時、私はなぜか幸せに、思ったのだった」
チリーンという鐘の音と「ねえもう15分たったよー」という少年のセリフで芝居は終わる。

そんな感じで短い時間ながら、飴屋さんらしさが存分に楽しめる内容だった。
食べる、食べられるという関係、動物としての人間というようなテーマはいつも根底にあるようだけど
そういったテーマだけで単純に語れない、いろんな要素が絡み合った複雑で豊かな作品だった。