ブルーシート 演出:飴屋法水 3

のつづき

ある女子が2枚目の男子に告白するというシーンがあった。
この女の子がすごく面白いキャラで、告白して思いっきりフラれるのだが
全くめげずに、突然手品をして気をひこうとしたりして
断ってるのに何度も告白する。
だんだん告白されている男子の方が「お前に俺の何がわかるんだよ!」
「俺のこと何もしらないくせに何適当なこと言ってんだよ!」と怒り始める。
でも女の子は相変わらずめげずに、よく知らないまま付き合って、よく知らないまま結婚して、
よく知らないまま歳をとるのって素敵、というようなことを言う。
男は「俺のこと何もしらないくせに」と言ってバットを持って女を追いかけまわし始める。
追い回され遠くまで逃げた女はついにキレて「じゃああんたは自分のこと分かってんのかよ!」と叫ぶ。
私は私のことがよく分からないし、私のことが分からない分量とあんたのことが分からない分量は同じぐらいだと。
しばらくの沈黙の後、男がまた例のセリフを言う。
「人は見たものを、覚えていることもできるし、忘れることもできる」

常に眠い女の子というのがいて(他の人がしゃべってる時にたまに椅子に座って寝ていたりする)
眠いわりに背が高くて運動能力が高いらしく連続で側転をぐるんぐるんしたりするのだが、
この子が友達にこんなことを聞くシーンがあった。
「わたしのお父さんの会社のことどう思う?」「人殺しなんて言う人もいるけど」
「お父さんの会社と、ニュースで見る会社が同じ会社だと思えないんだよね」
ここでは東電だとか原発だとかの単語は使われていなかったけれど
友達の方のお父さんは「その下請けで、線量とか測ってる」と言っていたりしたので
要するに親が東電社員という設定だった。
友達からは「ももち(アダ名)はももちだし、お父さんはお父さんでしょ」というようなことを言われ
納得したようなしないような感じで
「私がこんなに眠くなったのって地震の後からなんだよね」
「人って何のために眠るんだろう」というようなセリフでこのシーンは終わる。

みんなで普段しゃべっているようなノリで話すシーンでは、動物のことが話題になっていた。
飼っている猫に子猫が生まれて、黒猫と白猫の子供なのに、灰色にならなかったのは何でだろうとか
蛇がかわいいとか、魚はどうやって眠るのか、とか。
最初に登場した得たいの知れないものも同じテーマを持っていたと思うが
動物のことを考える時、同時に人のことを考えることにもなるような
生物について、もっと大きく言えば存在自体について、という答えにたどり着けないテーマの周りを
ぐるぐると回っていて、辿りつけないけど輪郭が見えてくるような、
そんな真摯な探求の態度が芝居全体にわたって感じられた。


終盤、生徒たちがいろんな遊びを始める。
まずはじゃんけんで、1対1で順番にじゃんけんしていき、喜んだり悔しがったりするのだけど
このあたりはリアクションからして、実際にその場でじゃんけんをして(つまり何を出すかは決めずに)やっているようだった。
あとは、「今両親と暮らしてる人〜」とか「付き合ってる人がいる人〜」とか
いろんな質問を誰かがして、手を上げるというのがあった。
「将来いわきから出たい人〜」という質問に対しては7〜8人は手を上げ、
残りの2人ぐらいは「微妙なう」と言っていた。
次に誰かが日本語の文を出題して、みんなが英訳するというのもあった。
「あの窓は四角いです。」とか「ポプラの木が並んでいます」とか
校庭の様子を描写した出題に対して、まわりの生徒達がけっこうでたらめな、カタカナを並べたような英訳をして盛り上がっていた。
その中である男子(HIPHOPダンスをやっているらしく、帰国子女?)が
一人だけものすごく流暢な英訳をしていたのが面白かった。
最後に客席の下に敷いてあるブルーシートを指さして「ブルーシートは青いです」という問題が出され
これは簡単だということでみんな声を揃えて「ブルーシート イズ ブルー」と答えた。

遊びの最後は椅子取りゲームだった。
あぶれた人が椅子を1つ運び出し、次の笛を吹くというルールだけはあるようだったが
毎回誰が負けるかは決まっていないガチの椅子取りゲームらしく
お互いをののしりあったり茶化したりしながら真剣にゲームしており
ものすごく楽しそうだったし、見ていて楽しかった。
ゲームは椅子の数が減るほど盛り上がっていき、見ている側も興奮した。
ついには椅子が1つになり、1つの椅子を2人で争う状態になり
いよいよこのゲームもクライマックスという盛り上がりの中、最後の笛が吹かれた瞬間
さっきまでの興奮が嘘だったかのように生徒達は椅子を片付け始め、誰もいなくなった。

しばらくして2枚目の男子とHIPHOPの男子が戻ってきた。
HIPHOPの子は上着を脱ぎ、ダンスの練習を始める。
一方2枚目の子は舞台のあちこちにある椅子を無造作に積み上重ね、1つに合体させはじめる。
この作業はゆっくりと続けられ、その間HIPHOPの男子は無言で踊り続けていた。
しばらくして、踊っている子は、踊りを覚える人がよくやるように
「蹴って・・」「左に2回・・・」「下がって・・」「ここでステップ・・」
踊りながら1つ1つのアクションを確かめるように口に出すようになる。
その中で「逃げて・・」というアクションが次第に繰り返されるようになり
それはだんだんと叫びに変わる。
「とにかく、ここから、逃げて」「逃げて」「ここから逃げて」
その場で、走るようなアクションをしながら、ほとんど絶叫にまでなり
「逃げて」という叫びはひたすら繰り返された。

このシーンが続く中、他の生徒達が入ってきて、その生徒が劇中で発したセリフを一言ずつ言っていく。
ここがエンディングであるというのが分かる。
最後の最後にもう少しだけあった。
10人全員が横に並び、まず9人が客席と反対側の方へ歩いて行く。
1人残ったのは、得体のしれないもの役だった子である。
ここで残ったこの子が、あの時、寝転がって何を思っていたかを語ったのだが
日が傾いた校庭と並んで遠くに去っていく学生達の光景があまりにも美しくて呆然としたせいか
残念ながら女の子が語った内容がはっきり思い出せない。
女の子は走って9人と合流し、遠くへ歩いて行く。
途中で10人は振り返り、客席の方に向かってこう叫んだ
「おーい、おーい、お前は鳥かー」
「おーい、おーい、お前は人間かー」


ということで、覚えている範囲の内容を書いてみた。
もう1回見ることが出来たらもっとはっきり記憶できて
ここまでで書いたようないろんなシーンの断片をもう少し全体の構造の中に配置してより良く理解来ると思うのだが、
残念ながら僕の頭の処理能力では多くのものがこぼれ落ちていると思う。

この芝居は実際にいわきで暮らす高校生達を、基本的にはそのまま表現しており
地震原発についてもその視点から、彼らの日常にどうしようもなく存在するものとして描かれていた。
ただし本当に彼ら自身かというとそうでもなく、
自然に対してちょっとだけ、視点だとか、組み合わせだとか、ちょっとのアレンジをすることで
景色ががらっと変わってしまうような、あるいは元々持っている魅力を強烈に感じられるような、そんな演出だった。
普通の高校生に会って、どんなコミュニケーションをとればそういったことが可能になるのか
僕には全くわからないのだが、とにかくほとんど奇跡的とも思えるほどそれはうまくいっていて
美しさにあふれていた。
この作品は彼ら10人を表現したものであって
そういった意味では本当に生もの、あの場所、あの瞬間にしか存在しない作品になっていた。
それにしても映像として記録してくれてたらいいんだけど・・と思ってしまうのは野暮なんだろうか。
覚えていることもできるし忘れることもできる、その瞬間にしか存在しないものだからこそ美しいんだろうか。